ポリティカル・コレクトネス擁護に対する反対の立場からの弁明

トランプ勝利以降出てきたポリコレ擁護は「現状のポリコレは全ての人間、少なくとも全てのマイノリティを分け隔てなく救い、かつマイノリティ同士、あるいはマジョリティとの権利の衝突にも十分な調整が為された完全無欠なもの」という現実に反した前提の元で行われているからどれも全く説得力がない。

またこのような擁護意見もあった。

「多数決の原理では絶対に負けてしまう弱者を守るため、ポリティカル・コレクトネスは必要だ。」

なるほど、確かに弱者、少数者の尊重は民主主義にとっても重要である。だが、その場合ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の「正しさ」は誰が担保するのか?無知な大衆はレイシズムに染まっているので、高史明先生や北田暁大先生のように高い教育を受けたインテリだろうか?

これに関してはくどくど反論せずともとりあえずヒュームやモンテスキューら、偉大な啓蒙思想家がアフリカ人は野蛮だという説を後押ししたという例を挙げるだけで十分だろう。このような例は他にも枚挙に暇がない。

何が正しいかなんて東大生にすら分からない。

判断をするのは後世の人たちだ。

自分なりの「正しさ」について述べたところで今回は筆をおきたいと思う。